Aki's Diary

日々の生活で思ったことなど

私の基本書の読み方(2)

3.基本書を読む際の留意点

(0)緒論

 前回の記事の続きです。
 私の基本書の読み方については,前の記事に記したところで既に尽きています。ただ,前の記事だけ読まれると,ややもすれば『基本書を用いた学習が何よりも重要である』といった誤った印象を与えるおそれもあると考えたため,前回の記事に引き続いて,基本書を読む際の留意点について記したいと思います。


(1)目的の明確化

 まず,基本書を用いて学習する目的を明確にします。受験生にとっては,司法試験合格が長期的かつ絶対的な目標であり,基本書はその達成ツールに過ぎません*1。司法試験合格という長期的な目標達成のために,中期的・短期的な学習目標が設定され,それらの達成のためにインプット・アウトプットに取り組むことになります。

 *1 なかには,基本書を読むこと自体が目的となってしまっている方も見受けられます(特に学習期間が長期に及んでいる方に多いように思います)。だからといってそれを批判/攻撃する必要はないように思いますが,受験生としては他山の石とすべきでしょう。

 たとえば,学習の初期段階にある場合を考えます。
 司法試験に合格するには,試験問題で合格点を取る必要があります(長期的目標)。試験問題で合格点を取るためには,試験問題に対応できる内容理解と技術を身に付ける必要があり,問題に対応できる内容理解と技術を身に付けるには,アウトプットを通じて内容理解と技術を高める必要があります(中期的目標)。そして,アウトプットが効果を挙げるためには,ある程度は知識・理解を予め身に付けている必要があります(短期的目標)。
 そうすると,学習の初期段階にある者としては,アウトプットに取り組む前提としての知識・理解を習得するという短期的目標の達成のために,各ツールを用いてインプットに取り組むべきことになり,基本書はそのツールの1つと位置付けられます。

 よく言われることですが,ゴールから逆算する思考方法は,目標達成にとって一番手っ取り早い方法の1つです。逆に,無目的に基本書を読み進めるという作業は,(たとえ前の記事で紹介した4つ視座を意識して読み進めたとしても)司法試験合格との関係では遠いところにあるものと自覚すべきでしょう。


(2)完璧主義の克服

 次に,基本書を用いて学習する際,完璧な理解を習得すること自体を目的とすべきではありません。その理由は2つあります。

 まず第1に,上記(1)で既にみたとおり,受験生にとっては飽くまで司法試験合格が目的であり,完璧な理解を習得することは目的ではないからです。
 完璧な理解を習得することは,飽くまで司法試験合格の手段的地位に止められるべきであって,言い方を変えれば,司法試験と関係ない事柄について深い理解を習得したとしても,少なくともそれは試験勉強としては無益(というか時間的コストを浪費しているという意味ではむしろ有害)なものといえます。上記(1)とも関わりますが,目的を明確にすることなく,完璧な理解の習得を目指して基本書を読み進めるならば,司法試験合格との関係で勉強のベクトルを誤るおそれがあります(それが学習期間を長期化させる要因にもなり得ます)。

 そして第2に,これも前の記事の2(2)で既にみたとおり,特に学習の初期段階では完璧な理解を習得することは困難な場合が多いからです。
 より深い理解の習得は,アウトプットの復習等の機会に委ねるのが相当と考えます。


(3)アウトプットの重視─インプット偏重の危険

 さらに,基本書によるインプットに偏重した勉強法は原則的に採用すべきでなく,十分にアウトプットを行う機会を持つべきです。その理由も主に2つあります。

 第1は,上記(1)で既にみたとおり,試験問題に対応できる内容理解と技術を身に付けるには,アウトプットを通じてそれらを高める必要があるからです。
 試験問題に対応できる形で基本的理解を習得するには,やはり試験問題等に取り組んで知識・理解をアウトプットする機会を持つことが非常に有効です。基本書によるインプットのみでは,試験問題に対応できるだけの内容理解と技術を身に付けるのは極めて困難といえます*2。

 *2 ごく少数ながら,アウトプットを十分に経ることなく,基本書等によるインプットを行っただけで,基本的理解を応用可能な形で習得できてしまう人達が存在することも事実です。いわゆる『天才』と呼ばれる部類の人達がこれに当たります。
 ここで注意すべきは,天才はごく少数しか存在せず,単純な確率論としては自分自身が天才である可能性は極めて低いということです(私は勿論,私の友人にも天才はいませんでした。ちなみに,研修所ではそれとおぼしき人が何人かいました)。
 そして,基本書を用いた学習で最も危険なのは,自分自身を天才だと決めこんで,基本書等によるインプット偏重型の勉強を頑なに続けてしまうということです。ただでさえ司法試験の合格率が2割程度に止まっているのに,それに加えて,ごく一握りの人達にしか適合しない方法論を敢えて採用するということは,合格へ至る可能性を自らの手で限りなく狭めているといえます(にわかに信じ難いですが,私の周りには,大なり小なりこのきらいがあり負の連鎖に陥ってしまった人達が何人もいました)。現行の司法試験は天才でなくとも十分合格できますので,天才だけが実践可能な方法論を敢えて採用するメリットは少ないように思います。

 第2は,これも前の記事の2(2)で既にみたところと重なりますが,アウトプットは内容理解を深める契機にもなり得るからです。
 インプットとアウトプットを繰り返すことによって,知識の質・精度は飛躍的に高まります。インプットとアウトプットの学習もまた車の両輪であって,双方ともに欠くべからざるものといえます。


(4)その他

 その他の留意点として,① 抽象論と具体例,② 論理構築に際しての必要性と相当性(実質論と形式論),③ 理論的体系と法律の構造(基本書の目次と法律の目次)との関係性,④ 実体法と手続法との連関,といったものがあります。これらの点も重要な視点を提供するものではありますが,純粋な方法論を超えて内容理解に関わる面もあるため,ここでの説明は割愛します。


(5)小括

 以上,基本書学習の留意点について記してきました。色々述べてきましたが,結局のところ根底にあるのは,ある種の目的論的思考であって,『基本書は目的達成のツールに過ぎない』ということです。私は,少なくとも司法試験合格との関係では,基本書を用いること自体に固有の意味はなく,各自が自分に適したツールで合目的的に勉強に取り組むことが出来ればそれで良いのではないかと考えています。


4.おわりに

 2回にわたり基本書の読み方についてみてきました(後半は受験勉強の取り組み方のような話になってしまいましたが)。自分が日頃から考え,そして実践していたことであっても,いざ文章化してみると,表現方法や論理構成に思いのほか苦心したり,あるいは自分自身にとって新たな発見があったりしました。言語化の作業それ自体が自身の思考整理に資するということは,あながち嘘ではなさそうです(論文式問題のアウトプットについても同じことがいえます)。
 最後になりましたが,今回の2つの記事が,司法試験等に向けて勉強を進められる方々に対して,何かインスピレーションを与えることがあれば幸甚です。